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物理学者であるファインマンが、「自然のシミュレーションの為には量子力学の原理でコンピュータを作らなければならない」とご冗談のような示唆を出してから早40年が経った。

量子コンピューティングは学術の世界を超えビジネスの世界で実用化に肉薄してきている。

本稿では、量子コンピューティングとは何者なのか、から始め、実現方式とそれぞれの現在の動向、金融機関で想定されるユースケースの整理、先進的な実証実験で見えてきた価値、そして来たるパラダイムシフトへ備えるための検討の進め方を概論する。

量子コンピューティングの概要と動向

1. 量子ビットの特徴

古典コンピューティングの中では数値は0と1の2進数(古典ビット)で表現されている。現実には回路内端子における電圧の高低で表現され、プログラムは、電子回路にビット操作を実行させる手順である。量子コンピューティングにおいてもプログラム実行のためにビット操作を用いることになるが、ここで使用するビットは量子ビットと呼ばれ、古典ビットとは違う性質を持つ。量子ビットは、0と1といったような数値ではなく、物理的実体のある状態のことを指す。例えば、電子が右回りしている状態、左回りしている状態、等である。このような量子ビットの特徴として重要なものを3つ 説明する。

まず一つ目は「重ね合わせの原理」と呼ばれるものである。右回りの状態と、左回りの状態をそれぞれ|0>と|1>と表現する(数値としての0と1との違いを表している)場合、それらを重ね合わせた状態a|0>+b|1>も量子ビットとして実現され る。ここで、aとbはどれだけその状態が混ざっているかを表す量である。実際にこの状態を観測すると、|0>もしくは|1>の状態が見えて、決して重ね合わさった状態というものを見ることは出来ない。観測という行為自体が重ね合わせの状態を壊し、aやbに相関する確率と観測方法によってどちらかの状態に収縮してしまう。

二つ目の特徴は「エンタングルメント(量子もつれ)」と呼ばれるものである。2つの量子ビットにおいて、「他方 を観察し状態|0>なら他方は必ず|1>になる。あるいはその逆」という互いに相関を持つ状態を作り出すことができ、それをエンタングルメントしていると呼ぶ。情報伝達はどんなに早くても光速を超えることは出来ないはずなのに、量子ビット間で瞬時に情報が伝わっていることを意味するこの不気味な矛盾はEPRパラドックスと呼ばれ議論が重ねられてきた。また、エンタングルメントした状態は容易にほぐすことも可能である。

三つ目の特徴は、「クローニングの不可能性」である。古典的には、端子の電圧を読むことで情報を覗き見することが可能であるが、量子ビットの場合、覗き見という観測行為自体が重ね合わせの状態を壊すので、観測前の情報を盗む(複製する)ことは不可能である。一方で、送り手側ですら情報を読み取れないので情報伝達に困難がある。これは、エンタングルメントの性質を活用すると送り手が情報を読み取らずに受け手側に情報伝達をすることが可能となることが知られている。方法の説明は割愛するが、これを量子テレポーテーションと呼ぶ。

2、量子コンピューティングの仕組み

量子コンピューティングの仕組みの本質は以下の手順で示される。1)量子ビットを用意する。2)各量子ビットの状態全体に対し、重ね合わせの原理を利用し状態組み合わせ全パターンを並列計算する。3)目的とする結果のみを抽出する。

量子コンピューティングはその高い並列計算能力が利点となる。現実には、この基本の上に、エンタングルメントや量子干渉といった量子力学的性質や、論理ゲートの組み合わせを設計することで、効率的なアルゴリズムを設計することが必要となる。例えば、ショアの素因数分解アルゴリズムが有名である。これは、対象Nの素因数分解実行に際してN³回程度の手順で解くことができ、Nが大きくなればなるほど古典コンピュータよりも遥かに手順が少なくなる。

3、実現方式と動向

古典コンピュータで用いられるビットやゲートを量子ビットや量子ゲートに置き換えた汎用的な「量子ゲート方式」と、計算量が莫大で古典コンピュータが苦手とする組み合わせ最適化問題に特化した「量子アニーリング方式/イジングマシン」の2方式に大別される。

量子ゲート方式は汎用型であるが課題に対する量子アルゴリズムの設計が必要なこと、量子ビット数が現状数十ビット程度で、実用化やスケールは当面先になる見込みだ。Google/Microsoft/IBMといった企業がしのぎを削り基礎研究が日進月歩している。

一方で、量子アニーリング方式/イジングマシンは、最適化問題に特化してアルゴリズムも設計されており、現状2,000を超える量子ビット数を実現しており、既に実用化に向けた実証実験も各企業で始まっている。

キューピー社は、惣菜工場で働く従業員のシフト最適化に量子コンピュータを活用する実証実験を実施。企業、勤怠管理者、勤務者、それぞれの制約を条件に最適化し、従来30分かかっていたシフト表作成を1秒で品質遜色なく実現できて いる。

フォルクスワーゲン社は、北京のタクシー418 台から収集したデータを使用し、市内中心部と北京空港間の交通の流れを最適化することに成功。交通渋滞が始まる前にそれを防ぐナビソフトとして汎用化が期待される。

金融サービスへの影響と取組み

1、想定されるユースケース

並列計算能力を活かす為計算量が必要とされる領域、最適化問題のように既に商用化段階まで来ている課題領域、厳密解よりも確率的な結果が重要な領域(AI高度化にも適用可能)、の3領域が現時点で有用である。金融機関にあてはめると、図表2のようなユースケースが該当すると想定できる。

2、BBVAにおける取組み

スペインに本社を置くBBVAは、弊社がタッグを組み量子コンピューティングの価値検証及び実用化に向けた実証実験を4ユースケースを対象として実施している。

① 投資ポートフォリオ最適化

商品、市場、顧客のリスク選好等の情報をインプットに、顧客の投資ポートフォリオを最適化し、リターンをより大きくすることに成功。静的な分析だけでなく、長期的なリスクや売買回数等も含め動的な分析も実施。特に、変数が100を超える程度で従来を凌駕するパフォーマンスが認められている。

② 信用評価モデル高度化

既存のモデルに比してより多種多数の変数を利用することを想定し、量子コンピューティングを用いた新しいアルゴリズム開発に取り組んでいる。

③ 裁定取引プロセス高度化

取引通貨種が増えるにつれ難しくなる取引アルゴリズムの新規構築に取り組んでいる。取引通貨が10種を超える程度で従来を超えるパフォーマンスが認められている。

④ デリバティブ価格算定

デリバティブ価格算定は他商品の価格にも依存する複雑なものであり、計算コストも大きい。現在使われているモンテカルロシミュレーションに量子コンピューティングのアルゴリズムを適用することでパフォーマンスの改善が出来ないかに取り組んでいる。

今後の検討に向けて

1、エコシステムの形成

量子コンピューティングは、様々な実証実験でポジティブな結果が出始めてきている。技術改善やアルゴリズム開発がなされていくことで実用化も数年のうちに実現されていくだろう。それに向け、各事業会社も自社活用余地の検討に本腰を入れる必要がある。検討を進めていくにあたっては、各要素のプロフェッショナルを組入れながらエコシステムとして検討を進めるべきである。図表3にモデルエコシステムを示す。ユーザーコンサルティングと各プレイヤーをオーケストレートする「イネイブラー」、成功の肝となる量子アルゴリズム設計に知見を有する「量子情報エキスパート」、ハードウェアを提供する「プロバイダー」、不足する要素技術や知見を提供する「研究機関/スタートアップ」、そして各プレイヤーを巻き込んで様々な課題に共同で取り組む「コンソーシアム」。実際に、BBVA社の実証実験においても、このエ コシステムを形成し知見を結集しながら実証を推進している。

2、発展の方向性

図表2にあげたユースケースは、あくま でも既存パフォーマンスの向上という観点であり、量子コンピューティングによる新規機会の創出が含まれていない。新たな市場創造や、それに対するビジネスモデルのデザインに挑戦し、実現していくことが今後パラダイムシフトを起こす最も重要なミッションであると考える。同時に、量子コンピューティングの基礎研究が進むことを横目で見ながら、ビジネスサイドから発展すべき方向の要請をそこにぶつけていくことも積極的に行うべきである。

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