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第12回 金融ウェビナー
テクノロジー革命が世界に破壊的影響を及ぼす中、デジタルトランスフォーメーションの実現は、どの国・産業にとっても緊要の課題となっています。もちろん日本も例外ではありません。例えば昨年9月には、経済産業省がデジタルトランスフォーメーションに関するレポートを発表。2025年までに既存システムを刷新しない場合、現在の約3倍に当たる年間最大12兆円の経済損失が生じると警鐘を鳴らしています。同省が直近の対応策として推奨するのは、維持保守業務からデジタル技術活用への人材・資金シフト、事業のデジタル化を実現できる人材の育成という2点。つまり、デジタル人材の育成を最重要課題として挙げているのです[1]。
特に今後の金融業界では、テクノロジーの進展や顧客のデジタル化、市場環境の急激な変化に伴い、AIをはじめとする先進デジタルツールの開発自体が主な仕事になると言われています。またAIと働き方の未来に関するアクセンチュアのグローバル調査によると、金融機関がAI導入や人との連携推進に向けて投資を行えば、2022年までに32%の収益向上と9%の雇用拡大を実現可能です[2]。デジタルトランスフォーメーションは不可避な流れであると同時に、収益力・人材力強化の重要な機会を金融機関にもたらす契機になるのです。しかしその一方で、AIと人の連携推進は、人材戦略という面で大きなチャレンジを生む可能性があります。ビジネスのデジタル化に伴い、既存の価値観が通用しなくなり、新たなアプローチが求められるからです。
新たなデジタル人材の姿 ― “ヒューマン+”としての労働者
新たな時代に求められるデジタル人材は、これまでとどう違うのでしょうか?そのヒントとなるのが、アクセンチュアが今年4月に発表した『Technology Vision2019』[3]で最新トレンドの1つとして紹介された “ヒューマン+としての労働者”という考え方です。デジタルトランスフォーメーションが進むにつれ、テクノロジーが現実世界に溶け込むポストデジタル時代への移行が加速していきます。そこでは、個々の労働者が持つ既存の知識・スキルに加え、テクノロジーを使いこなす能力やテクノロジーの活用を通じて新たなスキルを獲得する能力が求められます。また金融機関は、環境・制度面でこうした取り組みのサポート体制を整え、デジタルソリューションを構築・運用する人材、そして開発されたデジタルソリューションを駆使して業務を推進する人材の両方を育成・強化することが不可欠になるのです。
しかし日本の金融機関を見ると、これらの変化を見据えた取り組みが必ずしもできていません。欧米の先進金融機関では、投資銀行部門を対象にプログラミング(Python)の教育を始めるなど、人材育成戦略の抜本的改革を進めていますが、国内においてはこのような取り組みがあまり見られません。また日本では、AIをはじめとする先進デジタルツールの活用に必須となる従業員の意識改革も遅れています。例えばアクセンチュアによる前述グローバル調査の結果を見ると、AIとの協働の重要性を理解し、具体的な取り組みを行っている日本の労働者の割合はグローバル平均の半分程度[4]。
また、AIに対してポジティブな感情を持ち、自らの仕事に及ぶ影響をイメージできる労働者の割合もグローバル平均を大きく下回っているのが実情です[5]。
こうした現状を打破するために、金融機関が実践すべき具体的アプローチが2つあります。1つ目は、テクノロジーを駆使した人材の見極めです。人事部門による従業員の一括採用という既存手法では、人材それぞれの能力・適性を理解するという意味で限界があります。テクノロジーを活用した評価を行い、適材適所に配置することでポテンシャルを最大限引き出していくことが重要です。2つ目は、デジタル活用をつうじたスキル拡大により採用した人材の能力を高めることです。テクノロジーによって今持つ知識・スキルを強化し、デジタル時代に求められる多様な業務を迅速かつ効率的にこなせる“ヒューマン+”人材に育てていくことも必要になります。今回のウェビナーの中で動画を交えて紹介した通り、先進的な取り組みをつうじてこれらのアプローチを実践する企業は、すでに日本でも出始めています。(伊予銀行の事例は以下をご参照下さい。)
リスキルのあるべき姿とアプローチ
ポストデジタル時代への対応に向け、今後の人材戦略の中で特に重要な位置を占めるのが、既存社員のデジタル人材へ転換するためのリスキルです。これまでとは全く異なる資質・スキルセットが求められる中、社員に期待される成長について“言わなくてもわかる”時代は終わりを告げようとしています。金融機関は次の3点について明確に定義・文書化し、社員目線の丁寧かつ継続的なコミュニケーションをつうじてリスキルの取り組みを推進する必要があります。
- 自社のあるべき姿と目標・理念 ― デジタル化とビジネス環境の変化を前に会社はどう変わろうとしているのか。何を大事にし、何を達成したいのか
- リスキル計画 ― 社員にどんな人材に成長して欲しいのか。組織・カルチャー・働き方はどのように変わるのか
- リスキル支援の仕組み・環境 ― 成長に必要な経験。研修・セミナー・資格取得。進捗モニタリングの仕組み。
全社員に対して同じメッセージを打ち出すのではなく、職層ごとにコミュニケーションの内容やチャネルを工夫することも重要になるでしょう。
またリスキル・プログラムを実行する際には、3つの点に留意する必要があります。
1. 優秀な人材を厳選しチェンジエージェント役として育成する
単に“時間のある人材”をリスキル担当として選んだために十分な推進力が生まれず、取り組みが失敗に終わるというケースが見られます。プログラムを成功へ導くためには、ロールモデルとなる優れた人材を抜擢することで改革へのモチベーションを保ち、リスキルを“うねり”として組織全体に波及させることが重要です。
2. いきなり新しいデジタル技術を内製化しない
よくあるのは、成長途上の先端技術を早期に内製化しようとし、マニュアルだけで対応が難しいエラーへ対処できずに挫折するケースです。段階を踏み、OJTをつうじたエキスパートからのスキル移転を行い、現場に経験と納得感を醸成しながら取り組みを進めることが求められます。
3. デジタルへの不安感を払拭するための評価・インセンティブ制度を設ける
前述の通り、日本ではデジタルに仕事を奪われるという不安感を持つ従業員が多く見られ、取り組みの足かせになる恐れがあります。デジタルは能力向上を助けてくれる相棒だという認識を醸成するため、デジタルスキルの認定や評価、報酬といったインセンティブを取り入れ、従業員が自らのキャリアパスやゴールを明確化できる環境を作ることも重要となります。
デジタルトランスフォーメーションの実行からポストデジタル時代に向けた体制づくりまで、数千・数万人規模の社員の意識・行動を変え、デジタル人材を育成していくのは決して容易ではありません。しかし事業のデジタル化、そしてその推進役となる人材育成を今進めないことで生じるリスクは、冒頭に紹介した経済産業省の予測からも明らかです。日本の金融機関には今、迅速なアクションが求められているのです。
私が講演したウェビナーでは、デジタル時代の人材のあるべき姿や、デジタルトランスフォーメーションにおける人材活用の要諦、リスキルの進め方などについて、国内外の先進事例を交えながら詳しく解説しています。
補足:事例紹介 伊予銀行 ― デジタル変革とリスキルに向けた取り組み
テクノロジー変革の実現には、デジタルツールを構築・運用できる人材の育成が欠かせません。愛媛県を拠点とする伊予銀行は、まさに今こうした取り組みを全組織レベルで進めています。同行がコアビジョンとして掲げるのは、デジタルと人がそれぞれの得意分野を活かし協働を実現する「デジタルヒューマンデジタル(DHD)」。タッチポイントとオペレーションはデジタル化し、創造力を求められるコンサルティングなどの部分は人が担うという形で、 “ヒューマン+”人材の育成を進めています。
伊予銀行はこのビジョンを実現するためのステップとして、まず営業店人員と本部人員のリスキルという2つの取り組みを行なっています。営業店人員については、今年2月から“エージェント”と呼ばれるタブレットを順次導入し、紙ベースの業務をチャット形式のユーザー インターフェイス(UI)を使ってデジタル化。今後は大幅な業務の省力化によって捻出された時間を、顧客の課題解決などの業務に振り向ける予定です。また本部人員については、企画・業務部門で社員のデジタル習熟の1ステップとしてRPA人材を育成。 またシステム部門では、従来のウォーターフォールから新たなITをリードできる人材への転換を図るためにクラウドスキルを強化。ビジネス・デザイン・ITを跨ぐアジャイルな人材の育成を目指した取り組みを行なっています。
リスキルの体系的な推進には、大きな労力と時間だけでなく優れた専門知識と知見が求められます。伊予銀行では、プロジェクトのパートナーであるアクセンチュアの東京拠点にシステム部門担当者を数ヶ月間常駐させ、エキスパートとともにOJTを行うことでスキルを習得しました。今後はこの担当者をロールモデルとし、行内の様々な分野でシステム内製化を進めていくのが狙いです。今回のウェビナーでは伊予銀行の取り組みについてさらに詳しく紹介しています。
[1] 経済産業省『DXレポート 〜 ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開』 2018年9月7日
[2] アクセンチュア『Future Workforce : Reworking the Revolution』より計量経済モデルによる推計
[3]アクセンチュア『Technology Vision2019』
[4]アクセンチュア『Future Workforce : Reworking the Revolution』より計量経済モデルによる推計
[5]アクセンチュア『Future Workforce : Reworking the Revolution』より計量経済モデルによる推計