このシリーズの記事一覧:
前回、わが国の本人確認書類が多様で、読み仮名が無いなどの問題があることをご説明しました。
しかし、近年、政府の対応に幾つかの変化がみられます。基本的には、世の中のデジタル化への対応の必要が主因です。これらの変化のうち、今回、(1) eKYCの規定の追加、(2)戸籍の「読み仮名」に関する法制化、(3)マイナンバーカード機能のスマホ搭載、の3つを取り上げます。
大きな流れで捉えると、菅首相時代の政府の会議(注)で、上記の(2)や(3)を含むさまざまな議論が前進しました。それらの成果は、今後数年の間に実現するはずです。
(注)「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ」等。
1. eKYCの規定の追加
顧客の本人確認について、近年のわが国の政府の対応の変化の第1としては、2018年11月の犯罪収益移転防止法施行規則の改正が挙げられます。
この改正前は、銀行等による顧客の本人確認は、対面や郵送が中心でした。2018年11月の改正は、金融庁が「オンラインで完結する自然人の本人特定事項の確認方法の追加」と呼ぶものです。
スマホを使う「本人確認書類の撮影」や「自撮り(セルフィー)」などの操作を組み合わせる方法を新たに認めることによって、「オンラインで完結」する本人確認方法が増えました。
eKYCのイメージを簡単な絵で示すと、例えばこのようになります(注)。
(注)この絵は、Liquid社の許諾を得て、同社のホームページから転載させて頂きました。
ごく簡単に言うと、この「施行規則の改正」で、次が変わりました。
(1)顧客の立場から見た場合:
銀行等で口座開設をしたい人が、その窓口に出かけなくても、スマホと運転免許証などで一定のeKYCの手順で操作すると、即日または数日で口座開設を終えることが、広く一般にできるようになりました(但し、eKYCの手順を用意している銀行等に限ります)。
(2)銀行等の立場から見た場合:
口座開設を希望する潜在的顧客で、銀行等の窓口に来て順番待ちをすることを好ましく思わない方々に、自宅等からの操作で顧客になって頂くことができるようになりました。
そして、2020年初から始まったコロナ禍の中で、リモートかつ非対面の取引の必要性が急激に拡大し、上記(1)(2)の点を踏まえて、eKYCは浸透してきています。
参考1 複数あるeKYCの方式の中から選ぶ際の視点
銀行等が、リモートかつ非対面での本人確認をオンラインで完結する方法は、「犯罪収益移転防止法施行規則第6条第1項」にある「ホ」、「ヘ」、「ト」、「ヲ」、「ワ」、「カ」の6種類があり、それぞれの規定はすぐには理解が難しい表現になっています。
これらのeKYCの選択肢の中から、銀行等は、どれを顧客に提供するかを選ぶ必要があります。その際に重要な「視点」としては、次の6点が挙げられます。
(視点1)その方法で使える「本人確認書類」を、潜在的な顧客が持っているか。
(視点2)その方法で「本人確認事務」が終わり、口座開設までどのくらい時間がかかるか。
(視点3)潜在的な顧客の満足度は高いか、低いか。
(視点4)そのeKYCの方法を採用すると、どのくらい人件費等の費用がかかるか。
(視点5)そのeKYCの方法で、金融犯罪をどの程度防げるか。
(視点6)当該eKYCの事務で得た情報が、口座開設の終了後にも役立つか。
従来は、潜在的な顧客が持っている「本人確認書類」としてeKYCに使えるものの代表は運転免許証でした。そして、最もポピュラーなeKYCは、次の手順でした(施行規則第6条第1項の「ホ」)。
(手順1)顧客に、自身の運転免許証をスマホに対して傾けた角度で撮影してもらう。
(手順2)顧客に、自身の顔を「自撮り」してもらうとともに、ランダムな指示(例えば「顔を右にむけてください」)を出して、それに顧客が応じた動作をするかどうかを機械的に確認する。
本文中に示したeKYCのイメージの絵は、この手順を図で示しています。
ここで(手順1)に「運転免許証をスマホに対して傾けた角度で撮影する」と書きましたが、これは、犯罪収益移転防止法施行規則第7条第1項の「ホ」が、「本人確認書類の厚みその他の特徴を確認する」ことを求めているからです。そして、現時点では、その「厚みその他の特徴の確認」は、機械で自動的に行うのではなく、人間が行うことが求められています。
この「ホ」の方法は、①運転免許証の普及率が比較的高い、②暗証番号の利用は不要である(注)という2つの理由から、上記視点1から採用されることが多いのです。
(注)運転免許証には、交付時に各人自身が設定する暗証番号が2つありますが、多くの場合、忘れられて使えない状態になっています。
ただ、上述のとおり「人間が厚みその他の特徴の確認を行うことが必要」なので、eKYCの事務が即日で終わることが殆どありません。従って、上記視点2~4の点で、やや問題があります。さらに、視点5の観点でも、精巧に作られた偽変造運転免許証の悪用を許してしまいがちである点に、大きな問題があります。
本人確認をとりまく状況については、例えば、次のような状況の変化があります。
- マイナンバーカードの所有者が徐々に増えてきていること
- マイナンバーカード等本人確認書類のICチップ情報読取をスマホを用いて出来る人が増えていること(注)
(注)かつてはあまり知られていませんでしたが、多くのスマホに様々なカードに内蔵されているICチップの情報を読み取る機能が標準装備されるようになっています。また、デジタル庁の「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」の始め方を示すウェブサイトは、次の画面を含む動画で「手順」を説明しています。
(出所)デジタル庁「新型コロナワクチン接種証明書アプリへのご不明点とご要望について」
2. 戸籍の「読み仮名」に関する法制化
前回(注)の冒頭に記したとおり、日本の運転免許証、マイナンバーカードのいずれにも「読み仮名」はありません。
(注)Vol.1 日本の公的な本人確認書類の現状。
戸籍謄本・抄本や住民票の写しについても、「読み仮名」がありません(ご存知の方はあまりいらっしゃらないと思いますが…)。
現在、法制審議会の中で、戸籍において読み仮名を登録・公証するための法制化に向けた審議がなされています。2021年9月、上川法務大臣が法制審議会に諮問し、現在は、法制審議会の「戸籍法部会」で審議されています。
遡ると、2020年6月から12月にかけて開催された「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ」における検討が土台になっています。このワーキンググループの後、2021年の1月から7月にかけて「氏名の読み仮名の法制化に関する研究会」で論点整理や意向調査がなされました。
現在進行中の法制審議会における調査審議は今年度(2022年度)までが目途とされており、法案提出・施行準備は2024年度が目途とされています。
この検討そのものが、マイナンバーカードを含むデジタル基盤の改善を目指して進められており、マイナンバーカードには今後2~3年のうちに、「ローマ字」での氏名表記が始まる見込みです。
参考2 当局は住民の名前の読み仮名を知っている
子どもが生まれると出生届を出す必要があります。その出生届には、生まれた子どもに付けた名前と読み方を記載すべきことになっています。
名前の文字は、常用漢字、人名用漢字、ひらがな、カタカナの中から選びます。言い換えると、制限があります。しかし、名前の「読み方」は自由です。
市町村役場それぞれで表現の仕方は違うようですが、「読み仮名は、戸籍には記載されません。住民票の処理上必要ですから書いてください。」と説明することが多いようです。実際、住民票の処理上は、出生届を使って登録された読み仮名が使われていますが、住民票の交付を受けてみると、そこに読み仮名の記載はされていません。
しかし、最近、マイナンバーカードの普及を促すため、同カードの交付申請書を、予め必要な事項の大半を「プレ印字」したかたちで住民に送付することも多いです。この「交付申請書」には、ひらがなで「名前の読み」が印字された箇所があります。
この印字は、マイナンバーカード上に「氏名の点字表記をご希望の場合」に、その点字の表記の正確を期すために、通常は関係当局内部で使われている「読み」を印字したものです(既に申し上げているとおり、現在のマイナンバーカードには読み仮名がありません)。交付申請書上の当該箇所の注書きをみると、「点字表記の内容にご不明な点がある場合は、お住まいの市町村窓口にお問い合せください。」と記されています。
参考3 氏名の読み仮名が必要な理由
法制審議会の戸籍法部会は、2022年2月に開催した第3回会議で「中間試案の取りまとめに向けた議論のたたき台(その2)」を配布し、公表しています。その冒頭部分では、「氏名の読み仮名の登録・公証が必要な理由」として、以下の3点を記しています。
(1) 正確に氏名を呼称することが可能となる場面が多くなることによって、他人から自己の氏名を正確に呼称される権利・利益の保護に資する。
(2) 社会生活において「なまえ」として認識するものの中には、氏名の読み仮名も含まれていると考えられ、これを登録・公証することは、まさしく「なまえ」の登録・公証という点からも意義がある。
(3) 情報システムにおける検索及び管理の能率を向上させるとともに、行政手続等において、公証された氏名の読み仮名の情報を利用することによって、手続をより円滑に進めることが可能となり、国民の利便性の向上に資する上、氏名の読み仮名を本人確認事項の一つとすることを可能とすることにより、各種手続における不正防止を補完することが可能となる。
このうち、(3)に注目すると、金融機関等でも「公証された氏名の読み仮名の情報を利用すること」による手続きの円滑化、顧客利便性向上、不正防止の実効性向上等が期待されている、と言えるでしょう。
参考4 読み仮名の法制化の必要性が高まった背景
参考2でとりあげた「中間試案の取りまとめに向けた議論のたたき台(その2)」は、「氏名の読み仮名を法制化する必要性が高まった背景」としては、以下の4つを例示しています。
(1) 我が国における社会全体のデジタル化の推進、特にベース・レジストリの整備を推進する方針が定められたこと。
(2) 今般の新型コロナウイルス感染症対応を契機として、行政のデジタル化を更に推進し、デジタル社会における国民サービスを拡充する必要性が高まったこと。
(3) 難読な名の読み仮名が増えていること。
(4) 我が国における国際化の進展に伴い、例えば、まず、外来語の名又は外国で出生したり、父若しくは母が外国人である子などについては音としての名を定め、次に、その意味又は類似する音に相当する文字を文字で表記された名とする場合など、文字で表記された名よりもその読み方(読み仮名)により強い愛着がある者も少なくないと考えられること。
このうち、(3)には以前から「キラキラネーム」として話題になっていた問題が含まれます。
3. マイナンバーカード機能のスマホ搭載
本人確認の制度・実務についてデジタル化の先進国と言えるインド、シンガポール、スウェーデンなどで、例えば銀行口座を開きたいと思う個人と銀行等との間で使われる媒体は、「ICチップ内蔵のカード」から「スマホ」へと移行が進んでいます。
わが国においては、特に「マイナンバーカード」の裏面に「マイナンバー」が書いてあります。また、そのカードを紛失したり盗難されたり番号をお店の人に知られてしまったりしてはよくないのでは、と考える人が多いようです。このため、マイナンバーカードの普及率が徐々に上がってきても、殆どの人は、自宅等の「貴重品入れ」にしまったまま、外に持ち出すことは少ないです。
このため、「マイナンバーカードが内蔵するICチップの情報をスマホで読み取って、オンラインで申請や本人確認等が出来る」と言われても、なかなかそのような行動をとる人が少なかったのです。
そうした中で、マイナンバーカードの機能のうち、「公的個人認証サービス」に関する部分をスマホに搭載できるようにする方向で、政府が議論を進めています。
本件のイメージについて、政府は次の図で示しています(注)。
(注)この図の出所は、総務省「マイナンバーカードの機能のスマートフォン搭載等に関する検討会(第1回)」(2020年11月)資料2。
モバイルsuicaの例を挙げるまでもなく、他のものは忘れてもスマホは忘れずに持ち歩く人が多いと思います。
そのスマホにマイナンバーカードの「公的個人認証サービス」に関する機能が搭載できるようになると、「本人確認」の環境が大きく変わる可能性があります。
Android端末とiPhone端末とで、本件が実現する時期が異なると見込まれていることなど、幾つか注意すべき点はあると考えられます。
Android端末については、来年の3月末(令和4年度末)までに「搭載を目指す」と明記されています(注)。