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1.「お客様の名前が読めない」問題
ご自身の運転免許証に「読み仮名」があるか無いかを、ご存知でしょうか。正解は「無い」です。マイナンバーカードも同じく「無い」が正解です。
他方、私の健康保険証(企業の健康保険組合が発行する健康保険被保険者証)には、読み仮名があります。自営業者の方などが加入する国民健康保険制度の被保険者証には読み仮名が「ある」ものも「無い」ものもあります。いずれの場合も、健康保険証には、顔写真がありません。
少し前まで、首相の名前の読みが難しかったです。「菅義偉」首相。もちろん「すがよしひで」と読むのが正解です。「菅首相」と書くと「かんなおと」首相(2010~11年)と区別できません。フルネームを漢字で書くと、「義偉」の部分を読めない人がいるかもしれません。「岸田文雄」氏になり、首相の名前の読みは易しくなりました。
お客様対応でも、その方の名前の「読み」がわからなかったり、間違えたりしては、困ります。また、「読み」は「本人の自己申告」に依存せざるを得ない場合が多いと思います。そこでは「本人は嘘はつかないだろう」という「性善説」が前提です。
漢字から読みを想像することが難しい名前は増え続けています。明治安田生命が毎年公表している「生まれ年別の名前調査」で2021年新生児の名前(男の子・女の子別)のランキング上位5位は、次の通りです(注)。
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |
男の子 | 蓮 | 陽翔 | 蒼 | 湊 | 樹 |
女の子 | 紬 | 陽葵 | 凛 | 澪 | 芽依 |
これだけでも「読み仮名」が必要な名前がほとんどですね。
読みが難しい名前のうちあまりに個性的なものは「キラキラネーム」や「DQNネーム」として批判されることもあります。ただ、好むと好まざるとにかかわらず、「漢字だけでは読みが分かりにくい名前」は、既に「普通」になっています。
2. 本人確認手続きへの注目の高まり
読者の方々は、スマホやタブレットをお持ちだと思います。その画面上には、多数の「アプリ」が表示されていて、かつ、それらの多くにおいて「ユーザーID」や「パスワード」の入力が求められています。
デジタルサービスの多様化・普及にコロナ禍も加わり、非対面・リモートでの本人確認手続きを済ませて、新たなサービスを受け始める人々も増えています。非対面・リモートでの本人確認は、一般にeKYCと呼ばれます。 KYCは「Know Your Customer」、顧客についての本人確認です。
本人確認というと、マネロンやテロ資金供与防止対策のひとつとして捉える方々が多いと思います。マネロンやテロ資金供与の防止は、銀行をはじめとする多くの事業者に非常に重い課題です。
しかし、顧客情報の管理は、コンプライアンスのためだけではなく、顧客サービス、向上にもつながるものです。顧客の氏名や住所その他の属性をなるべく正確に把握し、そのうえで、「購買履歴」や「ライフイベント」などをも把握することができれば、(本人のプライバシーや個人情報利用の許諾の範囲を前提としつつ、)ひとりひとりの顧客に最適なサービスを提供できる可能性が広がるからです。
近年、フリマの事業者やネット通販業者などが、顧客の本人確認を済ませたうえで、キャッシュレス決済・送金・与信・保険等の分野にサービス提供の幅を広げようとする動きもみられます。
他方、非対面・リモートでの取引が増えると、「なりすまし」などによる犯罪が増え、それに対する対応の強化が求められます。昨年8月末に公表された「FATFの対日相互審査報告書」にも対応が必要です。
同時に、できるだけ良い「顧客体験」を生み出すことも求められています。
以上のようなことから、わが国において本人確認手続きへの注目は、高まっています。
冒頭にご紹介した「読み仮名が無い」問題についても、政府における改善に向けた検討が進んでいます。政府の対応については、次回(Vol.2本人確認をめぐる政府の対応の変化3つ)でご紹介することとし、以下は、まず「現状」を再確認します。
3. わが国の本人確認書類は非常に多種多様
「本人確認」を考えるとき、サービスの種類によって、求められる厳格さの程度はずいぶんと異なります。犯罪等の不正につながるリスクが殆ど無いサービスであれば、名前や住所(連絡先)、生年月日等が「自己申告で良い」と認められる場合も少なくありません。
もちろん、銀行をはじめとして、犯罪収益移転防止法で「特定事業者」に分類される事業者は、顧客との取引を開始するときや継続するとき等に、同法が定める方法で、適切な「顧客管理」(CDD)をすることが求められます。
銀行等が「本人確認」を行う際に、顧客から提示してもらう必要があるのが「本人確認書類」ですが、日本の公的な本人確認書類は、非常に多種多様です。
犯罪収益移転防止法施行規則第7条は、本稿末尾の「付」に示すとおり、自然人についての本人確認書類だけでも、非常に多種多様な書類の名前を掲げています。
この第7条第1号の「イ」には、①運転免許証、②運転経歴証明書、③在留カード、④特別永住者証明書、⑤個人番号カード(マイナンバーカード)、⑥旅券(パスポート)を含む11種類の本人確認書類が出てきます。これらは顔写真付きで氏名、住所、生年月日の記載があることから、「証明力の高い確認書類」と理解されています。なお、上記のうち、パスポートについては、下の参考1に記すとおり、最近発給されるものから「住所欄」が消えてしまいました。このため、本人確認書類としての使い勝手が相当悪くなりました(住所を確認するために、別の確認書類が必要となりました)。
参考1 日本のパスポートから住所欄が消えた
パスポートは、5~7年程度の周期で「仕様の変更」が行われています。その主たる目的は、偽変造対策の強化です。
特に2020年2月に新たに導入されたパスポートは、査証のハンコを押してもらう頁に葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が刷り込まれています。「三十六景」から、5年用パスポートには16作品、10年用パスポートには24作品が採用されていて、とても美しいです。「パスポート・冨嶽三十六景」でインターネット検索をしてみると、かなり好評のようです。
ただ、この2020年2月のパスポートの仕様変更で「住所欄がなくなった」ことを嘆く向きもみられます。それ以前のパスポートには住所欄がありましたが、「所持人記入欄」の一部で、「自己申告」でした。人によっては「未記入のまま」の場合もあり、運転免許証やマイナンバーカードに比べると証明力が弱いという問題がありました。この「所持人記入」方式で「現住所」を記入するスペースが、2020年2月以降発給されるパスポートからは消えてしまったのです。国民の立場からみると、パスポートの提示により、自らの住所を銀行等に示すことが出来なくなりました。
パスポートは10年有効のものも多いので、まだ「手書きの住所」のある(あるいは空欄で放置した)パスポートをお持ちの人が多いかもしれません。しかし、時間の経過とともに、そもそも住所欄が無いパスポートの比率は着実に増えています。
このため、取引開始時等における「本人確認資料」としてのパスポートの使い勝手は悪化しつつあると言えるでしょう。
今、話題の「マネロン対策」で、自然人について銀行等が最初に確認しなければならない「本人特定事項」は、(1)氏名、(2)住所、(3)生年月日、の3つです(犯収法第4条第1項第1号)。住所が確認できない本人確認書類は使いにくいのです。
4. 普及率の問題
わが国の公的な本人確認書類の第1の問題は、「普及率の問題」です。
一番普及率が高いのは、運転免許証です。16歳以上の人口に占める運転免許証保有者の比率は、男女計で75%(3/4)弱。女性だけでは66%(2/3)です(内閣府 令和3年版「交通安全白書」124頁)。
マイナンバーカードの交付枚数率(人口比)は、今年3月初で、 43.3%です(総務省 「マイナンバーカードの市区町村別交付枚数等について(令和4年4月1日現在)」)。マイナポイント付与などのインセンティブを付けていることを背景に、この比率は増加傾向にあります。しかし、持ち歩く人は非常に少ないだろうと思います(「裏側に、人に知られたくないマイナンバーが記されているから」などが理由です)。
パスポートについてみると、昨2021年末時点の有効旅券総数は 24百万冊余。人口(1.2億人余)に対してパスポートを保有する人の比率は約2割に過ぎません(旅券統計、平和4年2月公表版による)。コロナ禍の中で、パスポートの更新を見送った人も少なくないと思います。しかも、上の参考1に示したとおりの「住所欄が消えた問題」が生じています。
犯罪収益移転防止法施行規則第7条は、運転免許を取得したことが無く、マイナンバーカードもパスポートも持たない人が少なくないなかで、同条第1号「ハ」において健康保険の被保険証(一般に「健康保険証」と呼ばれるもの)を本人確認書類として用いることを認めています。健康保険証を持っている人の比率は高いと思います。
しかし、健康保険証は、犯罪収益移転防止法施行規則第7条第1号の「イ」「ロ」に示された本人確認書類と違って、「顔写真」がありません。このことを踏まえて、その提示を受けるだけではなく、「取引関係文書を書留郵便等により転送不要郵便物等として送付する方法」を用いて、その人が申告した住所(かつ当該健康保険証等に記載された住所―多くの場合、本人の手書き)に現に居住していることが確認できた場合に使えることとされています(同条第1号「ハ」)。
利用者(国民)の目線で捉え直すと、健康保険証はそれだけですぐに本人確認をしてもらえない「残念な本人確認書類」と言えるのです。
参考2 海外事情
海外事情は様々です。
インドは、アーダハール(Aadhaar)という生体認証を活用した本人確認が普及しています。「政府によると、インドの成人の99.7%がAadhaarに登録済」との報道が昨年12月に見られます。顔・虹彩・指紋を使うもので、わが国のNECの技術が使われています。同社の生体認証技術は、東京オリンピックで使われる予定でしたが、コロナ禍の影響で、残念ながら広く使われることにはなりませんでした。
デジタル技術を活用した本人確認は、スウェーデンやシンガポールなどに先進事例がみられます。
また、発展途上国でも「Digital Identity」の活用が進んでいます。アフリカ中部の国ルワンダでは、指紋認証で本人確認が出来るそうです。例えば病院にいって指を差し出すと、どこのだれか、この国の健康保険の被保険者かどうかが、即座にわかる仕組みになっているとのことです。
本人確認や生体認証は便利であり、日本でも大きな流れとしては進んでいくものと思われます。他方、顔認証技術によって、少数民族への抑圧や政府に反対する勢力の追跡・捕縛等が行われる場合もあり、手放しで「進めるべき」とは言えないと思われます。
個人情報保護やプライバシー保護等のさまざまな要請をも踏まえたうえでのデジタル技術の導入、活用が求められています。
参考3 免許証に読み仮名があった時代がある
上に「免許証には読み仮名が無い」と書きました。しかし、今から40年前の運転免許証には、読み仮名があったそうです。
当時、「太陽にほえろ!」に世良公則氏が若手熱血刑事役で出演し、役名は春日部一(カスカベハジメ、愛称ボギー)でした(世良公則氏、「カムカムエブリバディ」でも好演していました)。
当時の免許証の「読み仮名」は、警察が免許証保持者の名前の「漢字」それぞれに1対1対応する「読み」を機械的に割り当てていたらしく、世良公則氏が扮する春日部一刑事の免許証の「読み仮名」は「ハルヒヘイチ」だったそうです。
こうした読み仮名の付け方は、さすがに続けにくかったようで、今の免許証は「読み仮名無し」になっています。
付 犯罪収益移転防止法施行規則第7条(抜粋)
(本人確認書類)
第七条 前条第一項(第十二条第一項において準用する場合を含む。)に規定する方法において、特定事業者が提示又は送付を受ける書類は、次の各号に掲げる区分に応じ、それぞれ当該各号に定める書類のいずれかとする。ただし、第一号イ及びハに掲げる本人確認書類(特定取引等を行うための申込み又は承諾に係る書類に顧客等が押印した印鑑に係る印鑑登録証明書を除く。)並びに第三号に定める本人確認書類並びに有効期間又は有効期限のある第一号ロ及びホ並びに第二号ロに掲げる本人確認書類並びに第四号に定める本人確認書類にあっては特定事業者が提示又は送付を受ける日において有効なものに、その他の本人確認書類にあっては特定事業者が提示又は送付を受ける日前六月以内に作成されたものに限る。
一 自然人(第三号及び第四号に掲げる者を除く。) 次に掲げる書類のいずれか
イ 運転免許証等(道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)第九十二条第一項に規定する運転免許証及び同法第百四条の四第五項(同法第百五条第二項において準用する場合を含む。)に規定する運転経歴証明書をいう。)、出入国管理及び難民認定法第十九条の三に規定する在留カード、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(平成三年法律第七十一号)第七条第一項に規定する特別永住者証明書、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律第二条第七項に規定する個人番号カード、前条第一項第二号に規定する旅券等(この場合において、同号中「当該顧客等」とあるのは、「当該自然人」とする。)若しくは船舶観光上陸許可書又は身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳若しくは戦傷病者手帳(当該自然人の氏名、住居及び生年月日の記載があるものに限る。)
ロ イに掲げるもののほか、官公庁から発行され、又は発給された書類その他これに類するもので、当該自然人の氏名、住居及び生年月日の記載があり、かつ、当該官公庁が当該自然人の写真を貼り付けたもの
ハ 国民健康保険、健康保険、船員保険、後期高齢者医療若しくは介護保険の被保険者証、健康保険日雇特例被保険者手帳、国家公務員共済組合若しくは地方公務員共済組合の組合員証、私立学校教職員共済制度の加入者証、国民年金法第十三条第一項に規定する国民年金手帳、児童扶養手当証書、特別児童扶養手当証書若しくは母子健康手帳(当該自然人の氏名、住居及び生年月日の記載があるものに限る。)又は特定取引等を行うための申込み若しくは承諾に係る書類に顧客等が押印した印鑑に係る印鑑登録証明書
ニ 印鑑登録証明書(ハに掲げるものを除く。)、戸籍の謄本若しくは抄本(戸籍の附票の写しが添付されているものに限る。)、住民票の写し又は住民票の記載事項証明書(地方公共団体の長の住民基本台帳の氏名、住所その他の事項を証する書類をいう。)
ホ イからニまでに掲げるもののほか、官公庁から発行され、又は発給された書類その他これに類するもので、当該自然人の氏名、住居及び生年月日の記載があるもの(国家公安委員会、カジノ管理委員会、金融庁長官、総務大臣、法務大臣、財務大臣、厚生労働大臣、農林水産大臣、経済産業大臣及び国土交通大臣が指定するものを除く。)
二 法人(以下略)